都会に来たぞ! Client Adviser: Louis Vuitton

田舎から都会の生活に変わるぞ!

断片的な思い出は、逆にストレス❓


サンドイッチ用に作ったこの不思議なピンクの食パン🍞、さて、何故ピンクなのでしょうか?


おこしやす〜


思い出を、思い出そうとするとき、そして、その思い出が、うまく思い出せない。


そんなことって、ありませんか?


人間の身体って、すごーく嫌なことだったり、すごーく痛かったりした事を、忘れさせる様になっているんだそうで、例えば、出産。

冗談じゃなく痛くって、辛くってという思いをするのに、何年かすると、ころっと忘れて、また出産にチャレンジできるのだとか?

確かに、出産劇は、もう2度と産まないって思ったりしませんか?

たまたま、友達が初産で、無痛分娩にするとのことで、無事に生まれてきて欲しいです。

無痛分娩は、私が産んだことは、まだ、そんなに知られていなかったと思う。

痛いのは、誰だって嫌ですよね。

でも、母親が言ってたなー、その痛みを乗り越えてこそ、母親になるのだと。


子供達が小さかった頃は、毎日がバタバタで、無我夢中で、時間が経つのが、すごく速かった気がします。

でも、正直言って、自分が子供を産むとは思っていなかったし、結婚するとも思っていなかったので、なんだろう?子供達にベタベタではないんです。

そして、愛情の表現が、下手なんだと思います。

表現は、音楽の上では、できるというか、自然に表現できるのですが、対人間となると…


自分の生い立ちのせいだなって思う。


両親が、めちゃくちゃ忙しくて、母は、ピアノと声楽を教えていて、40人くらいは生徒がいたと思う。

父は、大学の教授。大学が遠かったのもあって、見かけるのは、夜だけ。週末は、趣味に没頭していたしで、親と会話をしたり、何かを一緒にした思い出が

考えてみたら、


ない


でも、それが当たり前だと思っていた。


私は、毎週末、大学教授宅に行って、レッスン。

それも、都内まで出かけてのこと


ヘトヘトだった気がする。


音楽理論の教室にも通い、先生が弾くメロディーを譜面にするだとか、和音の進行を書くだとか、ソルフェージュと言います。

そして、成績別にクラス編成されていて、SABCD

Sは、スペシャルクラス Aよりも上。

人数も限られて、私は嫌いだったな〜

今思えば、英才教育の一環で、成績レベルが同じ方が、教える側には、楽なわけで。


巻髪の先生だったな〜

主任


Sにいると、できて当たり前。

いきなり、ピアノの鍵盤にバーンと、もたれかかる様に音を出されて、それも複数。今、何の音だったとか?

その頃、負けん気だけは強かったので

必ずトップのクラスにいました。


でも


だから、何って?今だったら思える。


テクニカル的なことを重要視する日本。

しかし、表現力の乏しさ、発想。

マニュアル通りには、完璧にできる日本人。

しかし、音楽は、それだけでは済まない。


何故、過去の記憶を辿っているのか


私とは違う、娘の苦手とすることに対して

質問に答えたり、助言をしたりする上で、

親が、身近に感じられなかった私が、どの面下げて自分の娘に助言するのか、研究中です。