再就活、最終活
シェルター便りの、今週一押し猫ちゃん、リッツオくん。
あどけないこのなんとも言えない表情に、鷲掴みされました。
今週末は、やる気なし。
週末の買い物に行っても、食べたいものなし。作る気なし。外は暑いしと思ったら、今日は、雷ゴロゴロ、雨ギャンギャン。
さて、我が家のお嬢さん、来年卒業ですが、9月から大学再開です。選択があって、授業に出るか、オンラインにするか?
娘の場合、人より免疫力が低いので、本人もかなり気を付けています。ただ、やはり大学最後の楽しみも、味わいたいようで、仲良しの子と2人暮らしになります。
さて、コロナのおかげで、娘がずっと家にいましたが、微妙な疲れ方をするので、どうぞ大学にお帰りくださいって感じです。
女王蜂は、1匹です。笑
多分、日本ではあまりないことだと思いますが、娘から見た、母親かつ、同性の視線と両方の観点から私を見ている彼女。
彼女の目には、一体私がどんな風に映っているのだろうか?
母親としてだけみれば、彼女にとっては、物足りないんだと思います。その物足りなさはきっと、
私の愛情表現不足からなるもので、きっと、もっと抱きしめて、撫でくりまわして、お菓子を一緒に作ったりを彼女の小さい頃にすべきだったんだと思います。
残念なことに、私が小さい頃に、私の母親とのそういった思い出は、ないです。
それが当たり前と思って育ったと思います。それに私が気づかずして、ここまで来てしまった。
気づいた理由は、父が去年亡くなり、彼が息をひきとる前に会うことは出来ず、おそらくこの上なく寂しい死に方だったと思います。
それから、8ヶ月経ちましたが、毎日毎日、父との思い出が頭に浮かびます。忘れ去っていた思い出が、どんどん出てきます。
もうすぐお盆だからかな?
父は、子供たちのことを、とても可愛がってくれました。
父が亡くなったと聞いた日。
父の好きだった合唱曲をガンガンに聴いて、一人でギャーギャー泣きました。放心状態でした。でも、彼に対しての怒りも100倍以上あって、悲しみと怒りが同時進行で、半狂乱状態でした。
娘は、大学にいて、その日、やはり泣き崩れたようです。
彼女が小さい頃、一時同居していたので、いつも食事の時間には、父の膝の上でした。
孫というのは、可愛いんでしょうね。
その頃わたしは、自分の生活で精一杯だった。気持ちの余裕もなかった。
上の子が、幼稚園、娘が1歳半、そして1番下の子が生まれたばかり、旦那はアメリカ。
何も覚えていない。
旦那が、アメリカから日本に来るまでのあいだ、引っ越しを一人ですることとなり、今考えてみると、よくやったな〜と思う。
その分、毎日の生活を維持することだけしかできなかった自分だったのだろうと思う。
そして、2年ほど日本にいて、またアメリカ。その2年後にグアム、その5年後に、日本。そして、またアメリカ。
グアムにいた頃、また勤め出して、今度は真逆の生活というか、全く家にいない生活となり、
家にいる時は、死んだように寝ていて、初めて病気と遭遇することになり、その後の日本での生活は、まるで罪滅ぼしのように、家にいて、主婦の仕事をしているつもりだった。
でもそれは、当たり前のことと言うだけで、コミニュケーションの改善にはならなかった。
今住んでいる、ここノースキャロライナ。ちょうど4年になります。
私は、ここが大嫌いで、どんどん病んでいき、私はここで死ななきゃいけないのかと、毎日思って暮らしている。旦那の両親の介護問題も最近は浮上している。
でも。。。。。
ここで死にたくない。
ここで、自分の一生を終わらせたくない。
そんな最近、旦那が、ここに一生住むと4年前にタンカを切ったくせに、どうやら、気が変わったらしい。
私にとっての就活と最終活
もう時間がない!
そんなことを言う歳ではないのかもしれないが、私は、日本で最後を迎えることは、全くない。
それが、外人と結婚したという定めなのか?
もう一度、仕事がしたい
充実した私の時間を過ごしたいと最近、思っています。
このブログへのコメントは muragonにログインするか、
SNSアカウントを使用してください。