私は、雑草
夕暮れのダリアは、ちょっと色っぽい。
お花は、日に当たっているときの写真が多い中
昨日、何気に撮ったダリアの向こうには、夕暮れ、それも日が暮れる寸前に撮ったものだった。
ダリアを見て、きっと人は、太陽が燦々と輝く日の下にある絵を想像するんだろうけれど、
これも、雰囲気が好き〜
最近、裏庭を歩いてみたら
小さな小さな可愛いお花が咲き乱れていて、名前も知らないようなお花達で、調べてみたら、雑草。
雑草なの?
昔、自分のことを雑草と表現したことがある。
温室の中に咲き誇る、薔薇や蘭とは違って、温室の外に、咲いているような雑草が自分だと。
上流階級の育ちではなく、でも大学の教授の娘。
人から、もてはやされ
例えば、木村拓哉と工藤静香の娘達
必ず、親の名前の後に書かれる。
〜教授のお嬢さん
すごく嫌だったなー。
自分は、そんなつもりないのに。
それに、親がこうだから、娘も当然的に見られる。
もっと嫌だったなー。
だから、大学を出てから、日本にいたくなかった。
親から1番遠いところに、行きたかった。
でも、知らない土地で、言葉もろくに話せず、他の学生と自分を比べて、劣等感しかなかった。
日本人らしい演奏の仕方と、教授に言われた。
技術も、テクニックもあるけれど、発想に乏しいと言うことなのか?
その時に付き合っていた彼に、留学は、君に向いていないと言われたのも頭に入らず、突っ走った自分。でも、行ってみて自分の器の小ささを知り、しばらくは何をみても悲しかった。
結局のところ、親に対する犯行だったような気もする。
そして、親に認められたかっただけなのか?ずっとジレンマが続き
結局は、本当の自分に負けた気がする。
それからは、全く違った世界にいたいと思うが、そつなくこなしただけで、何を求めているのか分からなくなった。
そもそも自分は雑草なのだ。
バラの花にはなれない。
それからは、結婚をし、子供が産まれ、10年腹を括って子育てに没頭して、新しい世界のドアを叩くことになった。
しかし、両立するのは、本当に難しかった。
やはり、母親になると言うことは、ある意味、自分を捨てることにもなったかのように、どうしたら良いのか、その責任を全うするのと、自分がしたいことを天秤にかけた。
今、子供の手も離れ、本来なら自分の好きなことを楽しむべきだが、自分の年齢を考えると
恐らく、遅いのかもしれない。
さて、雑草の私は、この先どう咲くのか?
この花も、雑草です!
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